新型コロナウイルスをめぐって、物理学者たちが盛んに情報発信している。研究者とはいえ、感染症については素人のはず。なのにどうして声を上げるのか?
 理解できないことがあるのは許せない、データがあるとつい分析してみたくなる――そんな性分があるのだと、彼らは言う。でも、理由はほかにもあるらしい。
2020/05/07 掲載
2020/05/08 村山斉さんの動画を追加
 「この感染は拡大か収束か:再生産数Rの物理的意味と決定」
 そんなタイトルの記事3月末、ウェブマガジン「RAD-IT21」が掲載した。筆者は京都大学の門信一郎准教授だ。
 テーマに取り上げたのは、感染の広がりかたを示す指標「実効再生産数」。1人の感染者が平均して何人に感染を広げるかを示す数値で、「1以下」になれば、流行は収束に向かう。
 門さんは、すでに感染した人のうち半分が治るのにかかる期間(半減期)を、累計感染者が2倍になるのにかかる期間(倍増時間)で割れば、実効再生産数を算出できると解説。中国で感染拡大がほぼ収束した後のデータをもとに「半減期は9日」だとしたうえで、3月15日に日本での倍増時間が8.5日だったことから、その時点での日本での実効再生産数は「1.06」だと試算した。治療法がないという条件が同じなら、国が違っても治癒率は変わらないとの前提を採用した計算だ。​​​​​​​​​​​​​​

門信一郎さんによる分析。中国のデータを利用して患者数の「半減期」を推定した

 門さんは感染症の専門家ではない。核融合エネルギーの基礎研究をする物理学者だ。ただ、数学を駆使したデータ分析は、対象がちがっても「日頃やってること」と同じなのだという。
 門さんにとって、政府からの情報は物足りなかった。厚生労働省がウェブサイトで発表した資料では、生活習慣の異なる海外のデータをもとに基本再生産数を提示していた。彼らがその後に設置した「専門家会議」が実効再生産数をどうやって計算したのかも、当初は根拠がわからなかったからだ。「全体的な傾向を表していないのではないかと感じていた」という。
 記事の執筆を門さんに促したのは、やはり物理学者で素粒子実験が専門の水野義之・京都女子大学名誉教授だ。自身もツイッターでコロナウイルスについて熱心に情報発信を続けていて、1月には58件だったツイート数は、2月には118件、3月には476件とウナギのぼり。4月は1011件に達している。

Zoomで取材に応じた水野義之さん

 専門家でもないのに、なぜ? 理由の一つは、物理学者なら誰でも持つ「性癖」にあるのではと、水野さんは語った。「原理やしくみを可視化しないとわかった気にならない。あれだけ重要なことでわかった気になれないのは、気持ち悪くてしかたがない」のだという。
 「あらゆることに対して、その奥で何が起きているのかをイメージする、それが大好き人間が物理学者。(分析が)役に立つ可能性があるとなれば、やらんはずがない」
 物理学がたどってきた歴史にも関係があるという。
 地動説を唱えたガリレオは、異端とされて宗教裁判にかけられた。遠く離れた物体が力を及ぼしあうとするニュートンの万有引力説は、広く受け入れられるまで100年かかった。「目に見える現象と、その奥に潜む法則は非常に違う可能性があるということが、学問の出発点にビルトインされている。本質的な法則をつかみたい、それにもっとも成功してきたのが物理学じゃないか」
 社会に物申す物理学者は、じつは少なくない。核兵器への危機感を訴えた1955年の「ラッセル=アインシュタイン宣言」に署名した11人の学者のうち5人はノーベル物理学賞受賞者で、そのひとりが湯川秀樹だ。宣言がきっかけで創設されたパグウォッシュ会議には、やはりノーベル物理学賞を受けた朝永振一郎も参加した。水野さんは1953年生まれ。「旧ソ連が50メガトンの水爆実験をやって、雨に当たるとハゲになるよと姉に言われたのが小学校2年生のころ。本当に身にしみて、冷戦の時代を過ごしてきた」と振り返る。
「お上に従え、はあり得ない」
 米カリフォルニア大学バークレー校の村山斉教授も、「社会への責任」を意識する物理学者の一人だ。
 一般向けの著作も多い村山さんは、朝日新聞に掲載する隔週のコラム「時空自在」で、自身が研究する宇宙や素粒子について書いてきた。でも4月に書いた2本のコラムでは、コロナウイルスを取り上げた。各国の死者数の推移を分析し、日本でも爆発的に増える恐れがあると指摘。「ステイ・ホーム」と読者に呼びかけた。
 「今みたいな(外出ができない)生活は、だれにとってもキツい。なぜここまでしなきゃいけないのか、と。自分で調べてみると、確かにほかに(感染拡大を防ぐ)方法がないなということが納得できた」という。「納得したうえで我慢するほうが、単に(政府から)言われて我慢するよりずっといい。そういう気持ちが少しでも共有できたらいいな、と」
 米国では、国立アレルギー感染症研究所のアンソニー・ファウチ所長が「対策をとらなければ死者数が220万人を超える可能性がある」と具体的なデータを示し、「社会的距離=Social Distancing」の必要性を訴えた。「このままじゃ危ない、自分たち自身が行動を制御していかないといけないなという気持ちがある程度、共有できているから、(社会的距離が)機能していると思う」と、村山さんは話す。
 一方、日本では感染症の専門家からの情報発信が米国と比べて少ない。「非常に危なっかしい」と村山さんは感じる。
 Buzzfeed Japanによると、専門家会議が死亡者数の予測データを公表しようとしたところ、厚労省幹部から「猛反対を食らった」という。専門家会議メンバーの西浦博・北海道大教授は4月15日、「対策をとらなければ死者が42万人に達する」との推計を明らかにしたが、菅義偉官房長官は翌日の記者会見で、「厚労省の公式見解ではない」と打ち消した
 「民主主義の国ですから、みんながちゃんと状況を理解したうえで自分の行動を決めていくことで、社会が回るというシステムのはず。その情報がなかったら、パニックになるか、ぜんぜん気にしないか、両極端になるのが当たり前」と村山さん。「それを言わないで、『お上が言うことに従え』というのは、ちょっとあり得ない。そしたらみんな、花見に行っても当然だと思うんですよね」

Zoomで取材に応じる村山斉さん

9年前の原発事故でも
 神戸大学の牧野淳一郎教授は、より強いトーンで政府を批判している。スーパーコンピューターを使って星の動きをシミュレーションする計算天体物理学が専門だが、岩波書店の月刊誌「科学」5月号に掲載する予定のコラムでは、コロナウイルスについて分析した。
 牧野さんは数式を示しながら、専門家会議による感染拡大の予測が「楽観的すぎる」と批判。感染者の集団を追跡して感染を封じ込めようとする「クラスター対策」についても、「理論的には有効だが、事実上破綻した」と指摘した。そのうえで、「外出禁止、すべての学校の休校、すべての企業などへの出勤の禁止、というレベルの対応を迅速に行うことが東京圏では必須」と書いている。
 牧野さんがデータに基づいて政府の危機管理を批判するのは、今回が初めてではない。
 日本は9年前、東日本大震災と、それに伴う福島第一原発事故に見舞われた。牧野さんは当時、各地で計測された放射線量などをもとに、原発から外部に放出された放射性物質の量を具体的に推計。「国際原子力事象評価尺度(INES)」に当てはめれば、旧ソ連のチェルノブイリ事故と同じで最悪の「レベル7」に相当すると、発生から10日目の3月21日までに指摘した。日本政府が実際に事故評価をレベル7に引き上げたのは、それから約3週間が過ぎた4月12日のことだった。
 牧野さんが「科学」で続けている連載のタイトルは、「3.11以後の科学リテラシー」。これまで約90回に及ぶコラムの多くで、原発に関連した話題を取り上げている。
 牧野さんは取材に、メールで回答をくれた。「今回は、政府を信頼できないという以上に、おそらく政府は状況を理解できていない。それがわかることが問題だ」という。
 コロナウイルスに関心を示す物理学者がめだつ理由をたずねると、「物理学者には『専門外』という概念はあまりないからではないか」と分析した。優れた随筆でも知られる地球物理学者の寺田寅彦は、金平糖の「角」ができるしくみなど、日常生活の中で見られる物理現象に幅広く興味を持っていた。「必ずしも物理学の対象と思われていないことを物理学的方法で議論する、というのは割合普通のことです」
 とはいえ、「素人」からの情報発信には、批判もあるようだ。
 米国のニュースサイト「Reddit」には3月末、物理学者たちに対して「COVID-19と戦うためにあなたが出来ることは何もない。その論文を書くのをやめろ」と呼びかける投稿があった。こんな内容だ。
 「うまく転んでも、物理学者がかっこ悪くなるだけだ。疫学という分野はすでにある。Wikipediaから引っ張ってきた方程式をいじくりまわしている物理学者の予測は、ずっと洗練されていて検証済みのモデルを持ったプロの公衆衛生エキスパートの予測より、優れたものにはならない。下手すると、死人が出るよ」
 素粒子実験物理学者の早野龍五・東京大学名誉教授は、より控えめな情報発信を続けている。感染者数がどう推移したかを都道府県ごとに示したグラフを毎日、ツイッターに投稿していて、かなりの人から閲覧されているという。

Zoomでの取材に応じる早野龍五さん

 早野さんも9年前の原発事故で声をあげた物理学者の一人だ。各地で計測された放射線量をグラフ化し、ツイッターに投稿し続けた。いずれは原子力の専門家が自分にかわり、必要な情報を出してくれるようになるはずと期待した。でもそうした専門家は現れなかった。結果として早野さんへの注目は高まり、それまで3千人ほどだったフォロワーは、一時は15万人にまで増えたという。「(コロナウイルスについても)全く同じことを、同じようなスタイルでやってるだけ」
 一方で、「前回に比べれば、当事者が自らちゃんと顔を出して語る、ということをよくしている」と評価する。例えば専門家会議メンバーの西浦さんは、メディアの取材に頻繁に応じている。だからこそ自分たちは慎重になるべきというのが、早野さんの考えだ。
 「データを使って将来を予測するのは、我々のような畑違いの人が、個人の趣味としてやるのはいい。だけど、それを流布させようとしたりとか、何か政策その他に対して文句を言うネタとして使うとか、それはたぶんする必要がない。明らかに素人の我々が数式をいじってどうこう言うのは、私は趣味ではないなと」
 それでもコロナウイルスの分析を続けているのは、「主には自分が知りたいということに尽きる」という。「テレビで見せられているデータの見せ方では、全貌がよくわからない。自分が納得できるなと思うものができたら、それを公開する」
 米ジョンズ・ホプキンス大学のデータによると、日本で確認された感染者数は4月末時点で1万4千人で、人口10万人当たりにすると12人ほど。感染者が100万人を超えた米国と比べると、30分の1ほどの割合でしかない。日本では感染者を特定する検査の数を意図的に抑えているためだ、と批判する人もいる。
 早野さんは言う。
 「もし本当にそうだとしたら、長期的にデータを見ていけば、『実は隠れた感染者が10倍いました』とかいうのがきっと、いずれはどこかでバレる。だから公表されてるデータをみんなと一緒に眺めてるというのは、それはそれで意味があると思って、それをやっています」

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