危機にある日本メディア
被害者の実名報道へ高まる批判
日本のメディアは最近、社会から強く批判されている。それは米国なら考えられないような類の批判だ。殺人事件や自然災害で亡くなった人の名前を公開することは、死者や遺族のプライバシーを侵害することであり、メディアのねらいは単なる商業主義だ、と論じる人がいるのである。こうした意見に同調する人の数は急速に増えているらしい。社会からの理解と共感を得るために、日本の記者たちは何をすべきなのだろうか?
爆発的な批判
日本では各都道府県の警察本部に、新聞やテレビといった大手メディアが所属する「記者クラブ」と呼ばれる任意組織がある。死者の名前をふくむ事件の概要を記した資料を警察がメディアに提供するのは、慣習とされている。
消防本部がメディアに情報提供する場合もある。台風などの自然災害で、被害を受けた地方自治体が情報提供することもある。記者たちは長きにわたり、こうした慣習を当然のものだと考えてきた。
しかし、死者の名前を報じることはどんどん難しくなりつつある。
たとえば2016年6月、相模原市にある知的障害者施設「津久井やまゆり園」に元職員が押し入って刃物で19人を殺害した事件では、警察は遺族からの強い要望があることを理由に、死者の名前を公表しなかった。死者の名前を明らかにすれば、障害者への偏見や差別に自分たちがさらされることになると考える遺族もいるのだと、遺族の一人は指摘した。
また、京都市にあるアニメ制作会社「京都アニメーション(京アニ)」で35人が亡くなった2019年6月の放火殺人事件では、警察が死者全員の名前を発表するまでに1ヶ月以上を要した。葬儀などの儀式をメディアの取材に煩わされることなく静かに迎えたいという遺族の感情に配慮したのだと、警察はメディアに説明した。
京アニ事件でメディアが警察から情報を得て死者の名前を報じたのち、ネット上では大きな批判が起きた。
たとえばコピーライターでメディアコンサルタントの境治氏は、「実名」「京アニ」という言葉をふくむツイートがいくつあったかを分析した。メディアが実名を報じた8月27日をふくむ25~31日の間に、39万4千件のツイートがあった。同時期に香港で起きていた抗議活動についてのツイート数は、22万2千件だった。これは被害者の実名報道をめぐる問題にいかに多くの関心が集まったかを示すものだ。「マスコミ」ということばに「ゴミ」を掛け合わせたスラング「マスゴミ」をふくむツイートも多かったという。
ジャーナリストの明石昇二郎氏も、「遺族の反対を無視した暴挙」だとメディアを批判した。
日本新聞協会は2006年にまとめた冊子「実名と報道」で、被害者の名前を報じることの重要性を強調している。その目的は、第一には市民の「知る権利」への奉仕であり、第二には政府による権力乱用の監視であり、第三には歴史を記録することであると、彼らは論じている。
この冊子は当局が被害者の名前を公開することを拒否した最近の事例をいくつか紹介した。人権とプライバシーに対する社会の意識が高まったことが背景にあり、2003年の個人情報保護法が直接のきっかけになったと、彼らは説明した。
被害者をめぐる問題を1990年代から取材してきた朝日新聞の河原理子記者は2018年6月、この問題には二つの理由があると書いた。ひとつはネットとSNSの発達だ。被害者の名前があれば、事件に関係のない人でも関連情報を容易に検索でき、そうした情報は遺族が望まなくてもしばしば拡散してしまう。
河原記者が指摘したもうひとつの理由は、警察が犯罪被害者への配慮をより重視するようになったことだ。たとえば2008年には、被害者の家族が刑事裁判に参加する制度が導入されている。
憲法やメディア倫理について取材してきた朝日新聞の豊秀一記者は、被害者の家族に対する過剰な取材が、社会の反発を招いたのではないかと述べた。「マスゴミ」ということばに象徴されるメディア批判が、SNS利用者が意見を言い合うのにともなって増幅された可能性も指摘した。
総括すれば、被害者の実名報道への批判と、情報提供に対する当局の消極性は、2000年代から徐々に拡大し、ここ3年ほどで急速に拡大した。豊記者は電話取材にこう語った。「(変化は)急速だった。肌感覚では、本当に最近の傾向かなという感じだ」
米国ではこんな議論はない
米国での状況を参照すれば、日本におけるメディア批判を相対的に見ることができる。
近年の米国でもっとも深刻な社会問題の一つは、頻発する銃乱射事件だ。1949年以降に米国で起きた事件のうち、もっとも死者が多かったのは2017年10月にラスベガスのホテルで58人が殺された事件だ。2番目は、2016年6月にオーランド市のナイトクラブで49人が殺された事件。3番目は、2006年4月にバージニア工科大で起きた32人の殺害事件だ。
ラスベガスサン紙によると、ラスベガスの事件から4日後の10月5日、地元のクラーク郡検死官事務所は死者全員の名前と年齢、住所をメディアに公表した。公式発表より3日前の10月2日には、ニューヨークタイムスが家族や知人に取材し、死者全員の人物像を紹介する記事を発表している。記事には58人のうち47人分の写真も掲載されていた。
オーランドの事件では、事件があった6月12日の当日に、オーランド市当局が死者49人の名前と年齢をウェブサイトで発表している。CBSニュースは6月14日付のウェブサイトで全員の名前と写真を報じている。
特筆すべきはバージニア工科大の事件である。大学は死者32人全員の名前と写真、プロフィルをリストにして、ウェブサイトで公表している。メディアからの要望に応えて最低限の情報提供をするのではなく、自ら積極的に情報共有に動いたように見える。事件から2日後の4月18日には、ラジオ局のNPRが32人の名前と29人分の写真を、ウェブ上に掲載した。
まとめると、米国のメディアは日本メディアと同じかそれ以上に、死者の名前を報じることに熱心である。当局も積極的にメディアへ情報を提供していて、自分自身で情報発信に努めている場合もある。全体として、死者の情報を伝えることの重要性と必要性は、社会で広く共有されている。
ボストン大学でジャーナリズムを教えるクリストファー・デリー教授は、米国の警察や消防にとって、メディアへの情報提供は法律に基づいたものではないものの、広く受け入れられた慣習であると、取材に対して語った。彼らは遺族への連絡がとれないときにはメディアへの発表を遅らせることもあるが、遺族への連絡は公開の許可を得るのが目的ではない。それは遺族がメディアを通じて第一報を知る羽目になるのを防ぐためだという。
デリー教授によれば、アメリカの記者たちにとって実名報道はあまりに当然のことだという。「出発点となる前提はつねに、すべてを公開しよう、全員の名前と年齢を伝えようというものです。私たちはそこから出発するんです」と彼は話す。
死者の名前を報じる第一の目的は、事実を正確に記録することだとデリー教授はいう。たとえば事件現場にたまたま居合わせた人の家族は、死者の名前一覧を読むことで、身内が無事かどうかを確認できる。
デリー教授は、米国には建国当時から、政府を信頼しないという伝統があると述べた。そのため政府の情報は可能な限り公開し、政府の外にいる人が確認できるようにするべきだとアメリカ人は考えているのだと、彼は言った。
そういうわけで、殺人や災害などの被害者を実名で報じることの是非は、米国ではほとんど議論されていないのだと、デリー教授は話す。数少ない例外の一つは、性犯罪の被害者の名前を非公開にするという慣習だ。だが、性犯罪を例外にするのは不公平であり、他の犯罪と同じように公開すべきだとの議論もある。
なぜこんなにも違うのか
日本と米国の記者は、実名報道がなぜ重要なのかについて、同じ考えを持っているようだ。問題は、メディア批判が両国でなぜこんなにも違うのか、ということだ。
まず疑うべきは、メディアに対する信頼度の違いである。だが2010年から2014年に実施された世界価値観調査によると、メディアへの信頼度を尋ねる質問に対し、70.6%の日本人が「とても」「かなり」と答えたのに対し、アメリカ人では22.7%だった。つまり日本人はアメリカ人よりメディアを信頼しているということだ。
また、デリー教授が指摘したように、政府への信頼が米国では低く、そのためにメディアが相対的に信用されやすいのかもしれない。だが世界価値観調査の結果は異なる。政府への信頼を問う質問に対し、「とても」「かなり」と答えた日本人は24.3%だった一方で、アメリカ人は32.6%だった。
したがって、以下のように考えるのは単純過ぎるか、あるいは誤っている。「政府への信頼は米国では低く、日本では高い。メディアへの信頼は米国で高く、日本で低い。日本人がメディアをすぐに批判するのはそのためだ」
この問題について、検証可能な定量的データは見つからなかった。だが、豊記者のコメントは参考になる。彼はこう指摘した。「権力を監視する、そのために表現の自由や報道の自由があるという基本的な価値の大切さが、どれくらい共有されているのかで、(日米に)ちがいがあるのではないか」
日本国憲法は報道の自由を保障している。だが第二次大戦で敗れた後、戦勝国で日本を占領した米国によって、新しい憲法が「押し付けられた」と考える人々が一定の数、存在する。
日本の与党である自民党は、日本人が自ら選んだ「自主憲法」を制定することをめざしていると、その綱領に書き込んでいる。憲法の価値を重んじない人々が、報道の自由についても同じように価値を見出さなかったとしても、不自然なことではない。
日本の記者はどうすべきか
被害者の名前を報じることの価値が、被害者や家族が被る不利益を常に上回るのかどうかは、定かではない。とはいえ、実名報道が記事の説得力を増すことは事実である。ハーヴェイ・ワインスタイン氏のセクハラをめぐる記事で、被害者が自らの名前を明らかにして告発したことは、記事の迫力と社会への影響力を劇的に強めることとなった。死者をめぐる記事ではないものの、被害者の名前を報じることの大切さをくっきりと示す事例だ。
記者はその価値を多くの読者に理解してもらう必要があると、豊記者は話す。読者の共感を得る必要性について、彼はこう語った。
「記者は(実名報道が必要な理由を説明する)理屈を言うよりも、真摯に実践していくしかない。取材者と取材対象者の信頼関係に基づいた記事は、自ずと伝わり方が違う。そういう報道があるんだということを示し続ければ、批判への対抗力になるのかなという気がする」
References
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